*** 2005年9月14日(水)〜5日目、私は今、風に乗ります ***

 ホテルの朝食はカフェで和洋折衷のビュッフェ方式というのが多い。お好きなものをお好きなだけ、という形。ホテルJALシティ松山もここホテル日航高知もそうだ。
 ホテル食はどこも同じで飽きると言う人もいるけれど、同じ四国にある系列ホテル同士でさえ、松山と高知とではそのメニューが微妙に違う。松山のほうはお店がイタリアンの関係かサラダメニューの品数が豊富だった。高知は地元良質素材の強みを前面に打ち出した直球メニュー。シンプルにココットなんてのもあった。

 ホテルを後にしてまず向かったのは高知城。路面電車の高知城前駅で下車して大通りをちょっと裏手に入ると、もう高知城の公園敷地内への入口になっている。
 城の成り立ちについて説明する案内板を読んでいたら、ボランティアガイドの人が声をかけてくれたので、お言葉に甘えてついていく。

板垣退助 わたしは水曜日に来てしまったのだが、公共交通機関を駆使する旅人の場合、高知へは金曜から日曜にかけての週末に訪れることをお勧めする。週末だと、見どころを回るバスと市内循環バス、それに路面電車の乗り放題のつくお得チケットが700円で手に入るのだ(平成17年9月現在)。路面電車に四回乗るか、市内と桂浜や五台山といった見どころとを往復するだけでも余裕でモトが取れてしまう。ボランティアガイドの人から聞いて、しまったと思った。

 公園内に土佐藩出身の板垣退助像がある。高知は自由民権運動発祥の地でもあるのだそうだ。なお襲われたときに彼が「板垣死すとも自由は死せず」と言った話は有名だが、その場で命を落としたわけではないらしい。

山内一豊の妻・千代 高知城を築いたのは初代土佐藩主の山内一豊。本人よりもむしろ奥さんのほうが有名なような気がする。質素倹約のよくできた賢い奥さんで、まな板を買うお金もなくて枡の底をまな板がわりに使うほどの貧乏生活の中でも結婚時の持参金を決して遣わずに隠し持ち、ご主人が得れば目立てそうな名馬と巡り逢ったとき、ここぞとばかりに全額差し出したという。お陰でご主人は出世のいとぐちをつかんだのだそうだ。

 ボランティアガイドの人のお陰で、何も知らず素通りしてしまいそうなところで立ち止まりあれこれ教えてもらうことができた。
 高知は四国でも太平洋側に位置するためとりわけ年間降水量が多い。だから高知城は他の城より水はけにことのほか気を配っており、あちこちに雨樋がある。
高知城本丸 また、階段の一段あたりの幅を広くしたり、本丸へとは続かない「筋違い」のダミー門をつくったりすることで、外敵の侵入に備えていたのだということも聞いた。
 あるいは、高知城の屋根が霊柩車仕様の理由。殺生を重ねた身でも死後西方浄土(仏教で言う極楽浄土)に行けるよう願い、屋根を東西に向けているのだという。霊柩車のあの屋根って、そういう意味だったのか。
 この面白い構図も教えてもらった。馬の両脚の間に、高知城がすっぽり入るんだって。

 ボランティアガイドの人と別れて本丸を眺め、歩いて県庁前まで出る。
 桂浜行きのバスが次に来るまでかなり時間があったので、近くの店で昼食にしようと思った。ガイドブックにある店を探しても良かったのだが、あえて近所の人しか行かなさそうな雑居ビルの上の階にある店を選んだ。異邦人向けのノスタルジックな「郷土料理」よりも地元民が普段使いにしている「食事」に、実はほんのり自然な「ご当地色」が見えるのかもしれないと思ったのだ。
 入ったはいいが、この店何とメニューがないらしい。周囲のお客は「お弁当」とか「定食」とか頼んでいる。さらに聞いているとどうやら「お弁当」=「定食」のようだ。というわけで頼んでみると、お弁当の定食が出てきた。安いのにボリューム満点で美味しい魚介が豊富、酢の物も手が込んでいるうえ飲み物まで付いた。これは大当たりだった。
 近くに勤めているらしい若い女性OL二人組やサラリーマンのおじさんたちの、どこにでもありそうな会話を聞くとはなしに聞きながら、言葉の端々に覚える違和感に、ああそれでもここは高知なんだなと思った。

坂本龍馬の後ろ姿 県庁前からバスに約四十分ほど揺られ桂浜へ。巨大な坂本龍馬像が太平洋の彼方を見据える。正面はあまりに有名なので後ろ姿を撮ってみた。
 面白いと思ったのは、龍馬像の付近に背広姿の壮年〜中年男性ひとりの人が大勢たむろしていたこと。彼らは思い思いに龍馬と同じほうを眺めている。
 カップルも多かった。見たところではほぼ例外なく、男性のほうがいかにも龍馬ファンまたは幕末マニアあるいは日本史好きっぽい熱さのある感じで、女性はそれに付き合ってくれる優しい雰囲気だ。龍馬キャ〜的な女の子は皆無だった。同じ渋めの観光スポットでもこれが五稜郭タワーだったら土方キャ〜がごろごろしているに相違ない。

龍王岬から桂浜本浜を望む 本浜沿いに歩き龍王岬へ。波は穏やかだがここまでのぼると風が少し強い。
 しばらくぼんやり太平洋を眺めてから本浜を戻る。この旅では魅惑のご当地ソフトクリームの数々をついに口にすることはなかった。最後くらいは冷たいおやつに手を出してもいいだろう。というわけで本浜のところに出ていた屋台で高知名物アイスクリンを求める。コクがあるのにさっぱりしていて後をひかない。夢のような冷菓だ。
 アイスクリン屋のおばちゃんは地元の人だった。桂浜は月もさることながら元旦には車の大群が押し寄せ、初日の出を拝むのも一苦労らしい。また雲ひとつない十五夜の月や初日の出というのは、五年に一度あればいいほうなのだそうだ。
 一足のばせば坂本龍馬記念館もあったのだが、バスの本数が少ないので早めに戻ることにして切った。バス停近くの土佐闘犬センターは一階が土産物屋になっている。こちらをぶらりと見て回る。

はりまや橋 再びバスに揺られてはりまや橋へ戻る。そういえば何度もここを通っているのに、はりまや橋をまだ見ていなかったことに気づいた。

 ♪土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た♪

 またもよさこい節である。37歳の坊さんと17歳のお嬢さんの悲恋物語だそうな。結局ふたりは駆け落ちに失敗して三日間さらしものにされた後で坊さんが追放処分になり引き離されたのだという。
 現在のはりまや橋は車がガンガン通る普通の橋で、欄干にそれらしい名残があるかな?くらいのものである。近くに公園が整備されており、そこには平成十年にリメイクされた昔のはりまや橋がある。オリジナルの昔の欄干は現在、はりまや橋の真下の地下道に展示されているそうだ。
 後で聞いた話だが、はりまや橋は札幌の時計台・那覇の首礼門とならぶ三大がっかり名所として全国に名を馳せているらしい。札幌には行ったことがないので何とも言えないが、他にも色々「イメージと違う!」スポットはあるだろうに、なぜあえてこの三つが挙げられているのだろう。

 空港へのバスを待つ間、はりまや橋近くの喫茶店に入った。BGMはグレン・グールドあたりが弾いていそうな古ぼけた音源の『月光』。わたしがベートーヴェンと仲良くできる数少ない曲のひとつだ。ケーキセットにゼリーがつく珍しい店で、小さくて落ち着く良い雰囲気だった。
 ふと、東京・目黒の『ドゥー』を思い出した。八年近く前、近場に住む知人が親子二代で通っている店だと教えてくれたのだ。隠れ家のような喫茶店で、そこにはオトナの上質な時間が静かに流れていた。わたしは一度足を運んだ時、ここに似合うオトナになったらまた来たい、ここに通えるような人になりたいと憧れたのだった。
 あれから時は経ったけれど、わたしはトシをくっただけで相変わらずお子様だ。すぐ近くに移り住み、しかも目黒に勤め始めても、まだ『ドゥー』に行く資格がないような気がしていたから、ずっと立ち寄らずにいた。
 でも、はりまや橋のこの店に入ったときのように、そんなに気負わず今度ちょっと顔を出してみるかな、という心持ちになった。上質な時間というやつは、案外気さくにわたしを迎えてくれるかもしれない。

 高知空港は高知龍馬空港ともいう。正式名称は高知空港で、龍馬が入ると空港の愛称になるのだそうだ。本名より愛称のほうが長いというのも珍しい。全国で唯一人名のついた空港ではなかろうか。
 しかし何というか、高知で龍馬だと「ついにやってしまったか」という感はあるものの、それはそれで許される気がする。その大胆さの受け容れられる土壌がある。
 これがもし函館空港で「愛称は函館土方空港です」と謳ったら、「せめてケネディっぽくクラーク国際空港とかにしてくれ」などと全国からブーイングが届くように思う。
 ともあれ空港で飛行機を待つ。手持ち無沙汰なので売店で司馬遼太郎の『功名が辻』一巻を買って読んだ。来年の大河の原作で、あの山内一豊と千代が主人公らしい。

 やがて飛行機はわたしを乗せて一路東京へと向かった。
 わたしは雲の上を行く空の旅が好きだ。どんな時間でもそれぞれの良さがあるけれど、夜間飛行で着陸準備に入り高度が徐々に落とされるとき、羽田空港に点々とできているライトの道、無数の光で浮かび上がらされる東京湾の形は、ため息が出るほど美しく幻想的だと思う。
 それらが目に飛び込んでくると、喜ぶでも惜しむでもなくただ、ああ旅が終わる、と感じるのだ。

 そしてわたしもまた、静かにあの光のひとつになる。

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